久実ちゃんとの出会いのあと、俺は付き合っている女、梨紗子の家に行くために電車に乗っていた。病院の消毒の匂いがついている気がして落ち着かない。母親が亡くなった時を無性に思い出していた。席は空いていたがゆっくり座りたい気分になれなくて、手すりに背をつけて窓から流れる景色を見ていた。付き合っていると言っても時間が合うわけじゃないし頻繁には会わない。会いに行くのは何度目だろう。東京と言っても外れにあるから、どんどんと高層ビルは見えなくなっていく。深夜のテレビ収録で出会った。声をかけてきた梨紗子は、そこそこ売れているモデルだ。二つ年上で綺麗な人だけど相手のことはよくわかっていない。付き合ってから二ヶ月。デートらしいデートはしたことないし、メールもたまにしか来なかった。電車を降りて住宅街を歩く。彼女の家に着いたのは十四時。玄関に入ると甘い香水の匂いがした。あいつは、こんな匂いだったかな。「お邪魔します」「どーぞ」俺よりは名の知れている彼女は、綺麗だ。今まで付き合った女の中でもずば抜けている。収録で出会ったその晩、俺と梨紗子はセックスをした。好きとか、嫌いとか、よくわからないけど……付き合っている。今まで好きだと思った人はいない。気持ちよりも体のほうが先に成長してしまった感じだ。ワンルームの彼女の部屋。アクセサリーが整理されていたり、服がいっぱいある。ベッドに座ってまったりしていた俺は、何もすることがなかったから、彼女を押し倒した。「もう、なーにー?」「しよ」「えー。まだ来たばかりじゃん」セーターを着ていた彼女を抱きしめる。服の中に手を滑らせて肌に触れると甘い声を出して応えてくれる。俺だって男だ。綺麗な女がいれば抱きたくなる。俺の背中に手を回して答えてくれる。お互いに気持ちのいいところを探り合って、お互いのことを知っていく。「成人くん……」恋人になる定義とどこまで続く関係かわからないけれど、まあ、いいやって思った。真剣に生きている久実ちゃんには申し訳ないけれど、俺はこういう人間なのだ。
果てた俺らはしばらく眠ってしまい、目を覚ますと夕方だった。体は満たされているが心はなんとなくスッキリしない。体を起こしてベッドから抜けだした。ふっとゴミ箱を見ると男物の服が捨てられている。俺が使用したものではない。不思議と嫉妬心は湧いてこなくて、へぇ……そうなんだ……としか思わなかった。起きてきた彼女はラフな格好をして近づいてきた。ニコッと笑ってから、冷蔵庫をあけてミネラルウォーターを飲んでいる。俺は、俺以外の男と寝てしまう女を軽蔑していた。仮にも付き合っているのだから。俺は彼女がいる時は不特定多数の女と二人きりでは過ごさない。バカバカしいことはするつもりはなかった。気にしないようにしていたけれどやっぱりちょっと引っかかって質問してみる。「あのさ、俺のじゃない男の服が」彼女はさっと表情を変えた。「だから?」「だからって……。俺たち付き合ってんだろ?」強い口調で言うとさっきまでの表情をころりと変えて、人をバカにしたような顔になった。「……ってゆーか、あんたみたいな売れてない男を本気で愛すと思ったの?」俺は遊ばれていたってこと? 豹変ぶりに驚く。芸能界に入るまでもモテていて、告白されてきていた。だから、こいつも俺を好きだと思ってくれていると信じていたのだ。芸能界の女は恐ろしい。「体の相性がよかったしイケメンは嫌いじゃないの」「マジかよ。まあ、いいや。俺は不特定多数の男とする女は無理だから。今までありがと」「ずいぶん、さっぱりね」「お前のことは気に入ってたけど……無理だわ。じゃあ」服に着替えて部屋を出た。春も近いのに、冷たくてなんだか惨めな気持ちになる。空を見上げてため息をついた。「なにやってんだろ、俺……」ちくしょう。絶対に見返してやる。
*今日は、事務所でレッスンをしていた。仕事があまり入ってこないから、こうしてメンバーと鏡に写る自分を見ながら、ダンスレッスンをしているのだ。トレーナーや講師がひっきりなしに教えてくれる。汗が額に滲んで、頭が真っ白になるまでレッスンしながらも、女に遊ばれた怒りを押し殺していた。もう、簡単に恋愛なんてしたくない。「じゃあ休憩」汗を拭いてドリンクを飲んだ。昨日は久実ちゃんの手術日だったはずだ。成功したのだろうか……。廊下へ出て、久実ちゃんの母親に手術の結果がどうだったか電話をした。『わざわざありがとうございます。無事、成功しました。このまま元気になってくれるといいんですけどね』「じゃあもう再発の心配はないんですか?」『……いえ、なんとも』俺は想像していたよりも難しくて複雑な病気なのかもしれない。声のトーンが一気に下がってあまりいい返事をしてくれなかった。「そうなんですか」『このまま元気に過ごせる人もいますし、また手術しなければいけない人もいるんですって。久実の生きる力を信じるしかないですね』久実ちゃんならきっと大丈夫だと俺は信じていた。それから俺は病院に何度も通った。そのたびに久実ちゃんは笑顔で対応してくれて、明るく手術の痛みの話など聞かせてくれた。妹がもう一人増えた感覚で、俺は久実ちゃんを心から可愛いと思っていた。久実ちゃんはみるみるうちに回復して、中学に入る前に退院できた。
*今日は、お祝いを持って自宅まで遊びに行く。夕食をご馳走してくれるらしい。最近免許を取った俺は車で向かっていた。久実ちゃんは都内のマンションに住んでいた。高級住宅街ではない普通の建物だった。玄関の前に立ってチャイムを鳴らすと久実ちゃんが出てきた。満面の笑みを向けている。ツインテールの髪の毛はポニーテールに変わっていて、元気そうだ。「赤坂さん、ようこそ!」「お邪魔します」中に入ると母親がエプロン姿でキッチンから出てきてくれる。「わざわざありがとうございます」「いえ。お邪魔します」父親が近づいてきた。普通のサラリーマンという感じで、話し方も優しくていい人オーラが出ている。久実ちゃんは、一人娘で大事に育ててもらっている印象を受けた。母親は手料理を振る舞ってくれて、父親も何度も感謝の言葉を伝えてくれて温かい家庭だと思う。いつか自分も結婚して久実ちゃんファミリーのような笑顔が耐えない家庭を作りたい。久実ちゃんにプレゼントを手渡した。「赤坂さん、ありがとうございます」「中学に入るんだから、ちゃんと勉強するんだぞ。じゃないと、俺みたいになるぞ」「はーい」笑いが起きる。俺と久実ちゃんは本当の兄と妹のようだった。いい子だし、病と戦っているなんて思えない強さがあって、俺は見習おうと思っていた。彼女のように物事をプラスに捉えることができれば、どんなこともいい方向に行くのではないかと思えた。
自分の心が変わっていくと環境がどんどんよくなっていき、COLORはみるみるうちに売れていった。久実ちゃんが中学二年生になる春から、俺はドラマの主演をすることになった。オーディションを受けて勝ち取った大きな仕事。冬から撮影をしていて、そろそろ放送される予定だ。番組宣伝で忙しく過ごさせてもらっている。しかしそんな中、久実ちゃんの母親からメールが届いた。体調が思わしくなく再び入院することになってしまったのだ。ショックだった。撮影現場で知ってしまいテンションが落ちてしまう。……しかし、仕事を頑張らなければ。ドラマはあともう少しで撮り終える。それまでは撮影が深夜になったりして見舞いに行けないだろう……。俺様役でラブストーリーということもあり、女性ファンが一気に増えた。街でも声をかけられるようになり、違う世界に来たみたいだ。本当は歌って踊りたいところだが、今は与えられたことを一生懸命やる。自分の世界が変わってきた時に、久実ちゃんが入院してしまったのが残念でならなかった。
四月に入り……昼の情報番組で番組宣伝を終えて見舞いに行くと、ベッドに横になっている久実ちゃんがいた。げっそりと痩せてしまって顔色も悪く目に光が灯っていなかった。母親はパートに出ることになり平日は夕方じゃないと来れないようだった。医療費がかさんで生活も大変になっているのだろう。「久実ちゃん……」「赤坂さん。わざわざ来なくていいよ。最近、テレビにいっぱい出てるから毎日会っている気がするから、寂しくないし」力なくニコッと笑った。起き上がろうとした久実ちゃんを寝かせた。「無理すんな。寝ろ。強制」「はい」枕元にはクラスメイトからの寄せ書きが置かれている。『元気になりますように』とあった。明るい性格だから、きっと皆にも好かれているのだろう。「どんどん有名になっていくから励みになってるの。ドラマも楽しいよ。あの俺様キャラ……赤坂さんそのままだし」俺に気を使って話をしてくれる。あまり長くいると逆に疲れさせてしまうのではないか。そんな気もしたが次はいつ来てやれるかわからない。もう少しいてやりたかった。「ガキは寝てる時間だろうが。テレビなんて見ないで寝ろって」ぷくっと頬を膨らませる。「お母さんが録画してくれてるの。パソコンで見てる。……けど、こっそり夜中も見てる。一人部屋だし。部屋が空いたら移動しなきゃ駄目なんだけどね」ふふって笑った久実ちゃん。元気になってほしい。心臓が復活したらいっぱい走らせてあげたい。俺は切実に思っていた。「欲しい物はあるか? 俺、最近、稼いでるからなんでも言って」「最終回の台本かな」「えっ?」答えに困って動揺する俺を見て、くすっと笑った。ガキのくせにからかうなんて生意気だ。「誰と結ばれるのか毎回ドキドキしてるの。赤坂さんのキスシーンとか照れるよ」「お前にはまだ早いんじゃない? おこちゃまなんだから」「キスくらい……中学生でもするよ。同級生でも彼氏いる子いっぱいいるよ」「ませてんなー」俺は久実ちゃんとの語らいが楽しい。最近は仕事が忙しくて神経もピリピリしていた。ストレスが溜まっていて発散できなかったし、笑うこともあまりなかった。久実ちゃんは、六歳も年下なのに話が合う。久実ちゃんはそこら辺の子よりも辛い思いをしてるから大人なのかもしれない。「じゃあ、また来るから」「うん。無理して来なくていいからね
2 ―二人の距離感―久実十五歳 赤坂二十一歳久実ちゃんが中学三年生になるほんの手前から、ありえないほどCDが売れ始めた。COLORメンバーは次々に仕事が決まっていく。信じられないほど金が入ってくるし、今まで冷たかった番組プロデューサーも笑顔を向けてくるのだ。女が死ぬほど寄ってくる。そんな目まぐるしい変化の中で、俺らCOLORは話し合いを設けることにした。俺と黒柳は大樹の家にお邪魔した。コンビニで買ってきた菓子を広げて雑談をしていたが、シーンと静まり返った。俺らは売れてきている時で、不安だったのだ。この先、メンバーの誰かだけが売れるかもしれないし、辞めたがるメンバーもいるかもしれない。三人の未来を三人だけで語り合う。「俺らの人気は永遠に続かないかもしれない。だけど、三人で協力して生き残り続けたいと思う」大樹は真っ直ぐ俺と黒柳を見て言った。黒柳は「そーだね」とふんわりと返事をする。「俺らを応援してくれる人を裏切ってはいけない。しっかりやっていこうぜ」俺はそう伝えた。久実ちゃんを思い出す。俺らは少なからず誰かの希望になっているかもしれない。「どんなことがあっても乗り越えよう」大樹がそう言う。短い話し合いだったが、三人の意識は同じだということを確認し合えた。俺らはアイドルではなくプライベートモードで会話を始めた。「俺……今好きな子いるんだ。でも……恋愛のこととか大澤社長に言えないよな」大樹が幸せそうな口調で言った。人が人を好きになるのは当たり前のことだからいいが、スキャンダルには気をつけてもらいたい。俺も女とは体の関係があるから人のこと言えないけど。「大澤社長は恋人作るの禁止って言うけど……年頃だしね。俺たち」黒柳が眠そうにあくびをしながら言った。そして、言葉を続ける。「頼むから二人共スキャンダルとかやめてねー。バレないようにしてよー」「そういう奴が一番スキャンダル起こしそうだな」大樹は笑っている。大樹が惚れてる子ってどんな人なのだろう。俺たちはざっくばらんに話した。どんなことがあっても、メンバーと結束して頑張ろうと誓った。自分たちだけが幸せになるのではなく、応援してくれる人を裏切らないために。「じゃあ、仕事あるから俺行くわ」立ち上がった俺は、大樹のマンションを出た。車を運転して次の仕事場へ向かう。カー
夕方からの仕事は、大手出版社の女性向け雑誌のインタビューが入っている。どこの雑誌でも恋愛観を聞かれて困るのだ。俺の恋愛観は自分でもよくわかっていなかった。一度事務所に行ってマネージャーが同伴をする。出版社に到着するとロビーで迎えてくれる。色んな人に持ち上げられていると感覚が麻痺してくる気がした。俺に対して「よろしくお願いします」とスーツを着た女性が深く頭を下げてくる。俺は最近、後頭部ばかり見ている気がしていた。マネージャーとインタビュアーが名刺交換をする。出版社の来客室まで案内された。ソファーに座るとお茶を出されて早速インタビューが行われる。若い女性が担当で笑顔を向けてくる。カメラマンもスタンバイしていた。「では、よろしくお願いします」「よろしくお願いします」早速、シャッター音が鳴る。インタビュアが愛さない表情で質問を重ねてきた。「赤坂さんはお休みの日は何をされているんですか?」「音楽を聞いたり、ドライブをしたりしています。あとは……病院へ行っています」「病院に……ですか?」「ええ。まだ売れてない頃にファンレターをくれたお子さんがいて……お見舞いに行ったりしています」「偉いですね。素晴らしいです」「別に偉くないです。逆に生き方を学んだ気がしますね」俺は久実ちゃんを利用するつもりはなかったが、売れ始めているからと事務所から言えと言われたのだ。拒否したがそうであればもう会いに行くなと言われてしまい、従うしかなかった。「そうですか。続いて好きな女性のタイプを教えてください」こういうのは苦痛でならない。好きな女性のタイプなんて別にない。俺はこの質問をされるたびに梨紗子に遊ばれたことを思い出す。女なんて何を考えているのかわからない。「一途な方がタイプですね」梨紗子を思い出しつつ、無難なことを言う。「どんな雰囲気の方が好きですか?」「…………」しつこいからイラッとしてつい睨む。「COLORは圧倒的に女性のファンが多いんです。女性の興味があるところなので、詳しく聞かせてください。こちらもお仕事なので」苦笑いされてしまった。心を落ち着けて仕事を続ける。小さなことでイライラしてしまうなんて、相当ストレスが溜まっているのかもしれない。そして頑張って答えを絞り出す。「話が合う人……ですかね」インタビューを終えてビルを出る
「赤坂さんのことが好きでも……両親の言うことを聞かなきゃって思って」「ってかさ、なんで早く言わなかったんだ?」苛立った口調に怖気づきそうだった。「考えて悩んで……私もそう思ったから。それに、これ以上迷惑をかけちゃいけないって思ったの」「迷惑だと? ふざけんじゃねぇぞ」乱暴に私を抱きしめた。赤坂さんの胸に閉じ込められる。かなり早い心臓の音が聞こえてきた。「俺のこと信じろって」「赤坂さん。ごめんね」「バカ」涙があふれ出し、私は赤坂さんにしがみついた。赤坂さんはもっと強く私を抱き止めてくれる。「でも、好きな気持ちには勝てなかったの」「………」体を起こしてキスをされた。すごく優しいキスに胸が疼く。私のボブに手を差し込んで熱いキスに変わっていく。舌が絡み合い、濡れた音が耳に届いた。唇が離れると赤坂さんは今までに見たことない瞳をしている。「久実、愛してる」「……私も、赤坂さんのことが好き」「俺もだ」「今まで本当にごめんなさい」「大好きっ、赤坂さん、大好き」「うん。俺も」私も赤坂さんのために自分のできる限り尽くしたいと思った。守ってもらうだけじゃなくて、守ってあげたい。頭を撫でられて心地よくなってくる。「両親に認めてもらえるように……頑張るから」赤坂さんはつぶやいた。だけど、すごく力強い言葉に聞こえた。「近いうちに会いに行きたい」「うん………」「やっぱりさ、思いをちゃんと伝えて理解してもらうしかないから」「そうだね……」「俺はどんなことがあっても久実を離さないから。覚えてろよ」頼もしい赤坂さんに一生着いて行く。私は赤坂さんしか、いないから。きっと、大丈夫。絶対に幸せになれると思う。私は赤坂さんのことが愛しくてたまらなくて、自分から愛を込めてキスをした。エンド
そして、四日になった。前日から緊張していてあまり眠れなかった。化粧をして髪の毛をブローした。リビングにはお母さんがいて、テレビを見ていた。「友達と会ってくるね」「気をつけてね」「行ってきます」家を出ると、まだ午前の空気は冷たくて、身震いした。手に息を吹きかけて温める。電車に向かって歩く途中も緊張していた。ちゃんと、思いを伝えることができるといいな……。赤坂さんに恋していると気がついたのはいつだったんだろう。かなり長い間好きだから、好きでいることがスタンダードになっている。できることなら、これから一生……赤坂さんの隣にいたい。マンションに到着し、チャイムを押すとオートロックが開いた。深呼吸して中へ入った。エレベーターが速いスピードで上がっていく。ドアの前に立つといつも以上に激しく心臓が動いていた。チャイムを押すと、ドアが開いた。「おう」「お邪魔します」赤坂さんはパーカーにジーンズのラフな格好をしているが、今日も最高にかっこいい。私は水色のセーターとグレーの短めのスカート。ソファーに座ると温かい紅茶を出してくれて隣にどかっと座った。足はだいぶ楽になったらしくほぼ普通に過ごせているようだ。「久実が会いたいなんて珍しいな」「うん……。話したいことがあって」すぐに本題に入ると、空気が変わった。赤坂さんに緊張が走っている感じだ。「ふーん。なに」赤坂さんのほうに体ごと向いて目をじっと見つめる。何から言えばいいのか緊張していると、赤坂さんはくすっと笑う。「ったく、何?」緊張をほぐそうとしてくれるところも優しい。赤坂さんは人に気を使う人。「私……、赤坂さんのことが好きなんです」少し早口で伝えた。赤坂さんは顔を赤くしているが、表情を変えない。「うん……。で?」「好きなんですけど、交際するのを断りました。その理由を話に来たんです」「……そう。どんな理由?」しっかり伝えなきゃ。息を吸って赤坂さんを見つめた。「両親に反対されています」「え、なんで?」「赤坂さんは恩人ですから……。 だから、対等じゃない……から……」頭の後ろに片手を置いて困惑した顔をしている。眉間にしわを寄せて唇をぎゅっと閉じていた。
年末になり、赤坂さんは仕事に復帰した。テレビで見ることが多くなり、お母さんと一緒に見ていると気まずい時もあった。四日に会う約束をしている。メールは毎日続けているが会えなくて寂しい。ただ年末年始向けの仕事が多い時期だから、応援しようと思っている。私も年末年始は休暇があり、仕事納めまで頑張った。そして、両親と平凡なお正月を迎えていた。こうして普通の時を過ごせることが幸せだと、噛み締めている。今こうしてここにいるのも赤坂さんと両親のおかげだ。心から感謝していた。『あけましておめでとうございます。四日、会えるのを楽しみにしています』赤坂さんへメールを送った。『あけおめ。今年もよろしくな。俺も会えるの楽しみ』両親が反対していることを伝えたら赤坂さんはどう思うだろう。不安だけど、しっかりと伝えなきゃいけないと思った。
「……美羽さん。ありがとうございます」「ううん」「私も赤坂さんを大事にしたい。ちゃんと話……してみます」「わかった」天使のような笑顔を注いでくれた。私も、やっと微笑むことができた。「あ、連絡先交換しておこうか」「はい! ぜひ、お願いします」連絡先を交換し終えると、楽しい話題に変わっていく。「そうだ。結婚パーティーしようかと大くんと話していてね。久実ちゃんもぜひ来てね」「はい」そこに大樹さんと赤坂さんが戻ってきた。「楽しそうだね」大樹さんが優しい声で言う。美羽さんは微笑んだ。本当にお似合いだ。「そろそろ帰るぞ久実」「うん」もう夕方になってしまい帰ることになった。「また遊びに来てもいいですか?」「ぜひ」赤坂さんが少し早めに出て、数分後、私もマンションを出た。赤坂さんとゆっくり話すのは次の機会になってしまうが、仕方がない。本当は今すぐにでも、赤坂さんに気持ちを伝えたかった。二日連続で家に帰らないと心配されてしまうだろう。電話で言うのも嫌だからまた会える日まで我慢しようと思う。私は、そのまま電車に向かって歩き出した。
急に私は胸のあたりが熱くなるのを感じた。「占いがすべてじゃないし、大事なのは二人の思い合う気持ちだけど。純愛って素敵だね」私が赤坂さんを思ってきた気持ちはまさに純粋な愛でしかない。「一般人と芸能人ってさ……色んな壁があって大変だし……悩むよね。経験者としてわかるよ」「…………」「でも、好きなら……諦めないでほしいの」好きなんて一言も言ってないのに、心を見透かされている気がした。涙がポロッと落ちる。自分の気持ちを聞いてほしくてつい言葉があふれてきた。「赤坂さんに好きって言ってもらったんですけど、お断りしたんです」「どうして……?」「心臓移植手術が必要になって、多額な金額が必要だったんです。赤坂さんが費用を負担してくれて私は助かることが出来ました。両親が……」言葉に詰まってしまう。だけれども、言葉を続けた。「対等な関係じゃないからって……。お父さんが、財力が無くてごめんと言うので……」「ご両親に反対されてるのね」深くうなずいて涙を拭いた。「私を育ててくれた両親を悲しませることができないと思いました。それに、健康じゃないので赤坂さんに迷惑をかけてしまうので」うつむいた私の背中を擦ってくれる美羽さん。「そっか……。でも、赤坂さんは、誰よりも久実ちゃんの体のことは理解した上で好きって言ってくれたんじゃないかな」「…………」「赤坂さんに反対されていることは言ったの?」「いえ……」「久実ちゃんも、赤坂さんを大事に思うなら。赤坂さんに本当のことを言うほうがいいよ。赤坂さんはきっと傷ついていると思う。好きな人に付き合えないって言われて落ち込んでるんじゃないかな」ちょっときついことを言われたと思った。だけど、正しいからこころにすぅっと入ってくる。美羽さんは言葉を続ける。「久実ちゃんがね、手術するために日本にいない時に……。さっきも言ったけど、私、大くんと喧嘩しちゃって赤坂さんに相談に乗ってもらったことがあったの。その時から、久実ちゃんのことを聞かせてもらっていたの。赤坂さんは心底久実ちゃんを好きなんだと思うよ」必死で私をつかまえてくれる。赤坂さんの気持ちだろう。痛いほどわかるのだ。なのに勇気がない。私は、意気地なしだ。でも、このままじゃいけないと思った。勇気を出さなければ前に進めないと心が定まった。
楽しく会話をしながら食事していた。食べ終えると、大樹さんは赤坂さんを連れて奥の部屋に行ってしまう。美羽さんが紅茶とクッキーを出してくれた。二人並んでソファーに座る。部屋にはゆったりとした音楽が流れていた。自然と気持ちがリラックスする。しばらく、他愛のない話をしていた。「赤ちゃんがいるの」お腹に手を添えて微笑んでいる美羽さん。まるで天使のようだ。「安定期になるまでまだ秘密にしてね」「はい……。あの、体調大丈夫ですか?」「うん。妊婦生活を楽しんでるの。過去にできた赤ちゃんが帰ってきた気がする」美羽さんは、過去の話をいろいろと聞かせてくれた。辛いことを乗り越えた二人だからこそ、今があるのだと思う。気さくで優しくてふんわりとしていて本当にいい人だ。紫藤さんは美羽さんを心から愛する理由がわかる気がする。私は心をすっかり開いていた。「赤坂さんのこと……好きじゃないの?」「え?」突然の質問に動揺しつつ、マグカップに口をつけた。「いい人だよね、赤坂さん。きついことも言うけど正しいから説得力もあるし」「……」「実は 夫と喧嘩したことがあってその時に説得してくれたのも 赤坂さんだったの」「 そうだったんですね」「二人は……記念日とかないの?」「記念日なんて、付き合ったりはしていないので」「はじめてあった日とか……。何年も前だから覚えてないよね」ごめんと言いながらくすっと笑う美羽さん。初めて赤坂さんに会った日のこと――。子どもだったのに鮮明に記憶が残っている。まさか、あの時は恋をしてしまうとは思わなかった。こんなにも、胸が苦しくなるほどに赤坂さんを愛している。「ねえ、果物言葉って、知ってる?」「くだものことば? 聞いたことないです……」「誕生花や花言葉みたいなものなの。果物言葉は、時期や外観のイメージ・味・性質をもとに作ったもので……。果物屋の仲間達が作ったんだって」「はぁ」美羽さんは突然何を言い出すのだろう。ぽかんとした表情を浮かべた。「あはは、ごめん。私フルーツメーカーで働いていたの。なにかあると果物言葉を見たりしてさ。基本は誕生日で見るんだろうけど……記念日とかで調べて見ると以外に面白いの」「そうなんですか……」「うん。大くんと付き合った日は十一月三日でね、誕生果は、りんご。相思相愛と書かれていて……。会わな
タクシーで向かうことになったが、堂々と二人で行くことが出来ないので別々に行く。大スターであることを忘れそうになるが、こういう時は痛感する。二人で堂々と出掛けられないのだ。……切ないな……。美羽さんは大樹さんと結婚するまでどうしていたのだろう。途中で手ぶらなのは申し訳ないと思いタクシーを降りた。デパートでお菓子を買うと、すぐに違うタクシーを拾って向かった。教えられた住所にあったのは、大きくて立派なマンションだった。おそるおそるチャイムを押す。『はい。あ、久実ちゃん。どーぞ』美羽さんの声が聞こえるとオートロックが開いた。どのエレベーターで行けばいいか、入口の地図を確認する。最上階に住んでいる大樹さん夫妻。さすがだなーと感心してしまう。エレベーターは上がっていくのがとても早かった。降りるとすぐにドアがあって、開けて待っていたのは美羽さんだった。「いらっしゃい」微笑まれると、つられて笑ってしまう。「突然、お邪魔してすみません。これ……つまらないものですが」「気を使わないで。さぁどうぞ」中に入ると広いリビングが目に入った。窓が大きくて太陽の日差しが注がれている。赤坂さんはソファーに座っていて、大樹さんは私に気がつくと近づいてきた。「ようこそ」「お邪魔します」「これ、頂いちゃったの」美羽さんが大樹さんに言う。「ありがとう。気を使わないでいいのに」美羽さんと同じことを言われた。さすが夫婦だなって思う。赤坂さんも近づいてきた。「遅いから心配しただろーが」「赤坂さん。ごめんなさい」「一言言えばいいのに」一人で不安だったから、赤坂さんに会えて安心する。「さぁランチにしましょう」テーブルにはご馳走が並んでいた。促されて座る。私と赤坂さんは隣に座った。「いただきます」「口に合うといいけど」まずはパスタを食べてみた。トマトソースがとっても美味しい。「美味しいです。美羽さん料理上手なんですね」「とんでもない。大くんと出会った頃はカレーライスすら作れなかったんだよ」「そう。困った子だったんだ」見つめ合って微笑む二人がとても羨ましい。いいなぁ。私も赤坂さんとこうやって過ごせたら幸せだろうなぁ。
「妹が置いていった服ならあるけど。サイズ合うかな」「勝手に借りていいのかな?」「心配なら聞いてやるか」スマホで電話をはじめる。「あ、舞? 久実に服貸していい?」『えー! 家にいるの? 泊まったってことは、えーなに? 付き合ってるとか~?』ボリュームが大きくて話している内容が聞こえてしまう。「付き合ってくれないけど、まぁ……お友達以上だよ。じゃあな」お友達以上だなんて、わざとらしい口調で言った赤坂さんは、得意げな顔をしている。「……じゃあ、お借りするね」黒のニットワンピース。着てみるとスカートが短めだった。ひざ上丈はあまり着たことがないから恥ずかしい……。着替えている様子をソファーに座って見ている。「見ないで」「部屋、狭いから仕方がないだろう」「芸能人でお金もあるんだから引っ越ししたらいいじゃない」「結婚する時……だな」その言葉にドキッとしたが、平然を装った。私と……ということじゃない。一般的なことを言っているのだ。メイクを済ませると赤坂さんは立ち上がって近づいてくる。見下ろされると顔が熱くなった。「可愛い。またやりたくなる……」両頬を押さえつけたと思ったら、キスをされる。吸いつかれるような激しさ。顔が離れる。赤坂さんの唇に色がうつってしまった。「久実……愛してる」……ついつい私もって言いそうになった。「せっかく 口紅塗ったのに汚れちゃったじゃないですか」 私はティッシュで彼の唇を拭った。 すると 私の手首をつかんで動きを止めてまた さらに深くキスをしてきた。「……ちょっ……んっ」「久実、好きって言えよ」「……時間だから行かなきゃ」
久実sideふんわりとした意識の中、目を覚ますとまだ朝方だった。今日は休みだからゆっくり眠っていたい。布団が気持ちよくてまどろんでいると、肌寒い気がした。裸のままで眠っている!そうだった……。また、赤坂さんに抱かれてしまったのだ。逃げればいいのに……逃げられなかった。私の中で赤坂さんを消そうと何度も思ったけど、そんなこと無理なのかもしれない。すやすや眠っている赤坂さんを見届けて、ベッドから抜けようとするとギュッとつかまれた。「どこ行くつもりだ」「帰る」「………もう少しだけ。いいだろ」あまりにも切ない声で言うから、抵抗できずに黙ってしまう。強引なことを言ったり、無理矢理色々したりするのに、どうして私は赤坂さんのことがこんなにも好きなのだろう……。もう少しだけ、赤坂さんの腕の中に黙って過ごすことにした。太陽がすっかり昇り切った頃、ふたたび目が覚めた。隣に赤坂さんはいない。どこに行ってしまったのだろう。自分のスマホを見るとお母さんから着信が入っていた。「……ああ、心配させちゃった……」メールを打つ。『友達と呑みに行くことになって、そのまま泊まっちゃった』メッセージを送っておいた。家に帰ったら何を言われるだろう……。恐ろしい。「おう、起きてたのか」赤坂さんはシャワーを浴びていたらしい。上半身裸でタオルを首にかけたスタイルでこちらに向かってきた。あれ……昨日は一人じゃ入れないって言ってたのに。なんだ、一人で入れるじゃない。強引というか、甘え上手というのか。私はついつい赤坂さんに流されてしまう。そんな赤坂さんのことが好きなのだけど、このままじゃいけないと反省した。「今日、休みだろ?」「……うん」「じゃあ、大樹の家行こう」「は?」唐突すぎる提案に驚いてしまう。「暇だったらおいでって連絡来たんだ。美羽ちゃんも久実に会いたがってるようだぞ」美羽さんの名前を出されたら断りづらくなる。優しい顔でおいでと言ってくれたからだ。「でも……服とかそのままだし……」「そこら辺で買ってくればいいだろ」「そんな無駄遣いだよ」まだベッドの上にいる私の隣に腰をかけた。そして自然と肩に手を回してくる。「ちょっと……近づかないで」「なんで?」答えに困ってうつむくと赤坂さんは立ち上がってタンスを開けた。